メモ帳

ただのメモです

本への愛着

電子書籍は便利だけれど、どうも馴染めない。ネット上にしかない文章を読んだり、自分から何かを書いたりする分にはスマホは便利だけれど、書籍を読むとなると本屋に出向いて紙の本を買ってしまう。わざわざ休日の時間を割いてまで。この先殆どの人が電子書籍で済ませてしまう世の中が到来したら、わたしは確実に時代遅れの人間になるだろう。
思うに、データだけでは所有しているという感覚が希薄で、所有欲を満たせないからではないか。あと電池切れにイライラするから。何個も充電器を持ち歩くくらいなら、一冊本を持っていた方が良い。それに持って行ける本の数には限りがある。何冊もあると、目移りして一冊に集中できない。一冊しか持っていなければ、その本を読むしかない。
そしてずっと持っている本には愛着が湧く。これはきっと電子書籍にはないものだ。文章やストーリーにではなく、その本という物への愛着。ヨレ、開いた痕、ふいにつけてしまった汚れ、黄ばみ、ボロボロになった表紙。ここまで来るともう捨てられなくなる。私に取っての「歯車(新潮文庫)」、父にとっての英和辞典。今も本棚の一番良い席を陣取っている。

………

 しかし彼の愛したのは――ほとんど内容の如何を問わずに本そのものを愛したのはやはり彼の買った本だった。信輔は本を買う為めにカフエヘも足を入れなかった。が、彼の小遣いは勿論常に不足だった。彼はその為めに一週に三度、親戚しんせきの中学生に数学(!)を教えた。それでもまだ金の足りぬ時はやむを得ず本を売りに行った。けれども売り価は新らしい本でも買い価の半ば以上になったことはなかった。のみならず永年持っていた本を古本屋の手に渡すことは常に彼には悲劇だった。彼は或薄雪の夜、神保町通りの古本屋を一軒一軒のぞいて行った。その内に或古本屋に「ツアラトストラ」を一冊発見した。それも只の「ツアラトストラ」ではなかった。二月ほど前に彼の売った手垢てあかだらけの「ツアラトストラ」だった。彼は店先きにたたずんだまま、この古い「ツアラトストラ」を所どころ読み返した。すると読み返せば読み返すほど、だんだん懐しさを感じだした。
「これはいくらですか?」
 十分ばかり立った後、彼は古本屋の女主人にもう「ツアラトストラ」を示していた。
「一円六十銭、――御愛嬌ごあいきょうに一円五十銭にして置きましょう。」
 信輔はたった七十銭にこの本を売ったことを思い出した。が、やっとの二倍、――一円四十銭に価切った末、とうとうもう一度買うことにした。雪の夜の往来は家々も電車も何か微妙に静かだった。彼はこう言う往来をはるばる本郷へ帰る途中、絶えず彼の懐ろの中に鋼鉄色の表紙をした「ツアラトストラ」を感じていた。しかし又同時に口の中には何度も彼自身を嘲笑ちょうしょうしていた。……


芥川龍之介 「大導寺信輔の半生」 五 本より